統計科学・行動経済学・マーケティングの専門家で、国内トップレベルのデータサイエンティストとしても知られる慶應義塾大学 経済学部 星野崇宏教授の研究室では、50名以上の学生を抱え、数多くの企業との共同研究に取り組んでいます。国内の産学連携の先端をいく星野教授に多くの学生や企業を惹きつける要因と産学連携を成功させるためのポイントについてお話を伺いました。

星野 崇宏 (Takahiro Hoshino)
慶應義塾大学 経済学部 教授
この記事の目次
リアルワールドでの人間の行動や意思決定を科学したい リアルワールドのデータに基づく幅広い研究実績が多くの企業と学生を惹きつける 研究者のポテンシャルを発揮するために必要なインセンティブ設計とマッチング機会リアルワールドでの人間の行動や意思決定を科学したい

― 星野研究室では多くの企業との共同研究に取り組まれていますが、それはどういったお考えからなのでしょうか。
星野 私の研究関心は実社会、リアルワールドにおける人間の行動や意思決定をデータサイエンスと行動経済学・心理学の両面から理解することです。それを探求していく上で、企業からリアルワールドのデータを供給していただいたり、場合によってはフィールド実験をしたりする共同研究は不可欠だと思っております。
私の経歴は少し変わっていまして、大学は理系で入ったのですが、人の行動を科学的に理解しようと文系に転じました。もちろん経済学部への進学は有力な選択肢の一つだったのですが、その当時、行動経済学という学問は日本には存在せず、合理的な人間を仮定する経済学はサイエンスではなく一種の形而上学だと感じて心理学に進みました。
ところが、いざ心理学を専攻してみると、統制された実験室の中で行われる実験心理学が研究の主流であり、現実の生活レベルでの人間行動を説明できているように思えませんでした。そこで、よりリアルワールドの行動理解に近い研究をしたいと考え、大学院からは実際のデータを分析して人間の行動を明らかにする統計学を専攻しました。
統計学や心理学での論文発表や雑誌への寄稿などを続けているうちに、様々な企業からマーケティングに関する共同研究のお声がけをいただけるようになりました。
リアルワールドのデータに基づく幅広い研究実績が多くの企業と学生を惹きつける

― 具体的にどのような共同研究に取り組んでこられたのでしょうか
星野 以前からマーケティングや行動経済学分野で様々な共同研究をしておりますが、慶應に異動してからの案件のうち学生も参加したものに限っていくつか紹介したいと思います。
例えば、日本経済新聞社の日経電子版は継続的な月額利用料を徴収するサブスクリプション型のビジネスモデルとして有料会員数が非常に多く、優良なサービスです。デジタルマーケティングという観点ではどうしてもクリックレートや閲覧率の短期的な最適化(短期的なレコメンデーション)になりがちですが、短期的な施策だけではなく離脱率を下げつつ顧客生涯価値(CLV)を高めることを目的とした新しい観点での研究を行い、行動計量学会大会で発表し、機械学習系の国際学会に投稿準備を進めています。また花王様との共同研究では学部生中心に、消費財としては珍しくCLVに着目した顧客行動の理解を進め、重要なインサイトが得られたというご評価をいただきました。
サイバーエージェント様とはネット広告について共同研究を進めており現在国際学会への投稿を行っていますが、これとは別にグループのAbemaTV様とは実践的な内容の共同研究をさせていただいています。具体的にはCMの広告効果の評価法の開発と有料プランの価格設定の最適化に関することです。
三菱UFJ信託銀行様とは不動産の成約価格の予測、Toreta様とは飲食店への来店数の予測、コカコーラボトラーズジャパン様・トライアルカンパニー様との三者では価格販促やチラシ広告が顧客の競合店舗来店および売上に与える影響についての研究を行いました。これらの研究に当たってはブログウォッチャー様から弊研究室に継続的にご提供いただいている500万人を超える大規模な位置情報データが大変有用でした。
他にも多くの企業と共同研究や受託研究をさせていただいておりますが、各社様の目的に応じてゴールは異なります。富士通研究所様やインテージ様とは特許出願にまで至りましたし、他にAbemaTV様のような実務に直接活かせる実践的なものもあれば、先端的な研究を共にすることで社員のスキルアップを目的とする場合や有力なジャーナルや海外の研究誌に論文を掲載すること自体を目指すといった場合もあります
また企業以外の案件としては政府や自治体との共同研究もあります。一例を挙げると、総務省統計局との共同研究では政府統計の改善の取り組みの一貫として、家計調査と単身モニター調査や全国消費実態調査(今年度から全国家計構造調査に名称変更)との統計的データ融合について協力させていただき、その一部については政府から公表される指標となったものもあります。
― これだけのプロジェクトを実施するには相応の人数が必要かと思いますが、星野研究室の体制について教えていただけますか
星野 名古屋大学で研究室を構えた後、東京大学を経て、2015年4月に現在の慶應義塾大学に異動しました、こちらでは現在5年目になります。
現在の所属メンバーはポスドク1名(理研AIP)、院生15名、ゼミ生38名と合わせて50名以上の体制で、現所属では指導院生の数は一番多いです。
大学院にはゼミからの内部進学だけでなく、外部から当研究室を目指して入学する学生もいます。最近ですと慶應の理工学研究科や東大の修士課程から当研究室の博士課程に入学したメンバーもいます。
― なぜ星野研究室に入りたいという学生が多いのでしょうか
星野 研究室として「方法論の研究」と「社会への応用」という二つの方向性があり、研究と応用のどちらか、または両方に取り組むことができるという選択肢が広いところに魅力を感じてもらえる学生が多いようです。方法論も統計科学・機械学習などデータサイエンスの基礎となる数理的な方法論だけでなく行動経済学によるインセンティブ設計・介入法開発の両輪がありますし、その応用先もマーケティングだけでなく人事・組織や政策、医療に関わるものもあります。
院生の多くはゼミの学部生から修士課程に進んでいます。この4月には、学部ゼミ生17人中で修士課程に進んだメンバーが5名おりました。理系と異なり一般に経済学部のような文系学部から大学院に進む割合は非常に低いのですが、データサイエンティストとしてキャリアをスタートしたいと考えたときに、理系の学生に負けないスキルレベルを身に付けるために修士に行く必要がある、と考えているようです。
研究者のポテンシャルを発揮するために必要なインセンティブ設計とマッチング機会

― 星野先生は国立と私立の両方の大学での研究を経験されていますが、仕組み上、どちらのほうが共同研究や受託研究がしやすいというのはあるのでしょうか。
星野 どちらでも共同研究を実施するには大学側の承認が必要となり、知財や実施権に関する規則がありますが、詳細の部分では国立より私立の大学のほうが柔軟なところがあると思います。特に最近は国立大学では共同研究の引き受けの実績を増やすことが非常に意識されており、本部の意向・コントロールがかなり強いことが制約となることがあるように思います。面白いテーマで教員側は引き受けたいのに、一定額以上の研究費を出していただけないと引き受けられない、逆に研究費は多いけどあまり望まないテーマを本部側が振ってくる、など数値目標ゆえのミスマッチが起きているように感じます。
また、新規的な共同研究というよりはあくまで解析手法などの技術提供のような案件では、教員と場合によっては院生が企業の研究員を兼業すればよいはずです。しかし、国立のほうが兼業ルールの制限が多いため、大学での受託研究になるとすると、新しい研究ができるわけでもなく、追加的な対価を受けられないのにただ労働時間が増えるだけで、研究者のみなさんがお引き受けにならないのは当然ですよね。
― 星野先生はシカゴ大学やノースウェスタン大学の客員研究員も歴任されていますが、米国と日本を比べた場合はいかがでしょうか。
星野 米国の場合は、企業からの共同研究費や国からの研究費からの予算の中の間接経費の何割かを自由に使うことができます。研究者の給料として配分してもよいわけです。さらに、より多くの研究費を獲得した研究者に対して、より高い評価と報酬が配分されるような制度が確立されています。こういったインセンティブが働く仕組みによって、研究者が積極的に企業との共同研究を行うようになっています。
― 日本でもそうしたインセンティブが働く仕組み作りを全体で議論していく必要がありますね。今後どのような共同研究が増えていくとよいと思われますか。
星野 日本の大学で共同研究が行われるのは工学部系が多いように思います。日本では基礎科学の応用への橋渡しを行うために工学部が誕生したという経緯がある以上、必然的にそうなるのかもしれません。しかし、今後は、基礎研究に携わっている研究者が企業との共同研究を通じて新しい手法を生み出していくタイプの研究がもっと増えればよいと考えています。数理や脳科学、心理学などで先端的な基礎研究をしている研究者が企業と共同研究をすれば、まったく新しい手法が直接的に社会実装されるような機会が増えていきますし、応用研究者を経由することで生じるタイムラグが解消されます。
― 最後に、今後、産学連携に取り組む研究者に、共同研究が成功するポイントを教えていただけますか。
星野 分野によるかもしれませんが、基礎研究者が日々取り組んでいる研究というのは、実社会において思っている以上の価値があるということを、研究者側も企業側も認識することが必要だと思います。一見、実社会と直接的な関係がないように思える研究でも、企業にとっては新しい気づきを与える、これまでとは違ったアプローチを生み出し実務にも大きなインパクトを生み出すといったこともあります。研究についても実務側のニーズを理解して初めて気付くシーズも多いと思います。ただ、難しいのは研究者と企業双方のニーズやインセンティブを理解したうえで両者を繋ぐマッチングの場や機会が少ないので、epiSTさんにはぜひその役割を担っていただきたいと思っています。
― ありがとうございます。星野研究室で実施されているような共同研究がより多く生まれるための場づくりに取り組んでまいります。