epiST Journalは、産学連携とオープンイノベーションの先進事例や周辺環境に関する記事を配信することで、その機運を盛り上げていきます。
記念すべき第一回の記事は、前人工知能学会会長で、はこだて未来大学副理事長であると同時に、はこだて未来大学発ベンチャーの株式会社未来シェアの代表取締役社長を務める松原仁先生とepiST株式会社の代表取締役社長である上村崇によるインタビュー対談です。
日本における人工知能ブームの潮流、科学技術の研究や産学連携における課題、epiST株式会社のアドバイザリーボードに就任した背景と今後の期待について松原先生に語っていただきました。
松原 仁(Hitoshi Matsubara)
公立はこだて未来大学 副理事長
株式会社未来シェア 代表取締役社長
上村 崇(Takashi Uemura)
epiST株式会社 代表取締役社長/CEO
この記事の目次
国内に研究者がほとんどいない時代から三度の人工知能ブームを経験 日本における研究の環境を改善するためには、「人事」と「予算」が鍵 より多くの日本の科学技術を社会に実装していくために、ビジネス視点での支援は不可欠国内に研究者がほとんどいない時代から三度の人工知能ブームを経験
上村 松原先生は長らく人工知能の研究を第一線で続けてこられたわけですが、研究者としての道を歩み始められたころのお話を伺えますか。
松原 1977年に東京大学に入学した当時から人工知能の研究をやりたいと思っていたのですが、当時、人工知能の研究をやっている先生は日本中探してもほとんどいませんでした。
工学部でロボットの研究をされていた井上博允教授が、アメリカに留学した時に人工知能のコンセプトに触れ、なんか面白そうだなと思ってパンフレットの研究テーマに載せていたようですが、それが自分の目に留まったのが最初のきっかけでした。
私は将棋が好きだったので、井上先生の研究室で将棋を指す人工知能を研究テーマに選びたいと相談しました。ところが先生からは、人工知能ですら認められていないのに、ゲームのようなエンターテイメントの研究はなおさら認められにくいだろうから、ロボットの人工知能に取り組みなさいと。それで、カメラとアームを連動させるハンドアイシステムの研究をしていました。
上村 東京大学大学院で博士課程を修了された後に、現在の産業技術総合研究所で研究をされることになったのですね。
松原 そうです。当時は電子技術総合研究所、通称は電総研ですね。このころになるとようやく人工知能の研究が少しずつ認知されはじめてきて、そろそろ将棋を研究テーマにしても許されるかなという雰囲気になり、人工知能における将棋や囲碁といった思考ゲームの研究に取り組み始めました。
その後、Jリーグ発足と同じタイミングに、北野宏明先生(ソニーコンピュータサイエンス研究所所長)と浅田稔先生(大阪大学大学院工学研究科教授)と私の3人で人工知能とロボットでサッカーをする「ロボカップ」という競技大会を立ち上げて、長らくロボカップの日本委員会の会長を務めていました。
上村ここ数回の人工知能学会の全国大会の参加者は3000人近くになっており大変な盛況ぶりです。先生が研究の道に進まれた当時はどのような様子だったのでしょうか。
松原 人工知能学会は1986年に発足したのですが、実はその時は二回目の人工知能ブームでした。3,000人の参加者はいなかったかもしれませんが、千数百人くらいはいたと思います。1993年くらいからはバブル経済の崩壊とともにブームが去って、全国大会で400〜500人くらいしか参加者がいない冬の時代が2000年代まで続きました。
私が人工知能学会の会長になったのは2014年なのですが、ちょうど三回目の人工知能ブームに突入していました。全国大会の参加者も賛助会員もうなぎ登りで、歴々の先輩方からは松原は運がいいなと揶揄されましたね。
上村 おかしな質問かもしれませんが松原先生がいまもし学生時代に戻られて、改めて研究テーマを選ぶとすれば、何を選ばれますか。やはり人工知能でしょうか。
松原 私はどこか天邪鬼なところがありまして、いまだったら人工知能は選ばないかもしれないですね。やはり人があまり挑戦していないところで勝負すると思います。私が研究をはじめた当時の人工知能がまさにそうでした。
ずっとコンピュータを相手に研究をしていましたから、それとは違うもの、例えば有機物から生命や知能を作るとかですかね。まだメジャーではありませんが、有機物を組み合わせて生命活動を行う細胞を作るといった研究に取り組んでいる研究者はいます。
もちろん、人工知能でやってみたいテーマもまだまだありますよ。例えば、政治の意思決定を人工知能で補佐するとかです。様々なデータを取り込んで最適な意思決定を支援する政治家秘書のような人工知能です。人間だって秘書から始まって政治家になる人がいるわけですから、将来的には、秘書に留まらず人工知能の総理大臣や大統領がでてきてもおかしくないのではないかと思っています。
日本における研究の環境を改善するためには、「人事」と「予算」が鍵
上村 人工知能の研究は大きな盛り上がりを見せていますが、昨今メディアでは「日本の科学技術力が下がっている」とか「研究力が落ちている」という言葉を目にします。これは本当なのでしょうか。長らく研究の道を歩んでこられた松原先生からみてどのように思われますか。
松原 研究者の能力という意味で言えば日本にはたくさん優秀な方がいますし、悲観するような状況ではないと思います。一方で、研究する環境という意味では議論すべき余地がいくつかあると思います。
一つは人事。研究者の採用制度です。
私は86年に電総研に入ったのですが、当時は採用されれば皆パーマネントに雇用されていました。パーマネントに雇用されていれば、若いうちからチャレンジングな研究ができるというメリットがあります。ところが、いまは有期雇用がほとんどです。賛否両論あるでしょうが、3年などの短い期間で有期雇用されていると、その間に成果を出して契約の継続を目指さなければいけません。
よく野球で例えるのですが、これではホームランではなくヒットを狙う人が多くなってしまいます。結果として研究テーマが小粒になってしまい、世界で評価されるようなものが出てきにくくなるという影響があるのではないでしょうか。
もう一つは予算。
いまは競争的資金という名のもとに、若くて優秀で、良いテーマを持っている一部の研究者に研究費を大きく配分しようという方針になっています。これはもちろん良い面もあります。一部の優秀な研究者を優先的に伸ばすことができるためです。ただ、全体の研究費のパイが変わらない、または不景気で減っていくとなると、選ばれた一部の研究者以外には研究費が行き渡らなくなります。その結果、何が起きているかというと、研究者の多くの時間が「研究予算の獲得」のために割かれるようになりました。つまり、研究に集中できない状況になっており、その結果、「研究力の低下」が起きているという側面はあると思います。
上村 北米では共同研究費が研究者個人の報酬になる場合もあるようです。
松原 それも大きな違いですね。
日本では昔から研究者がお金に固執するのは下品だという雰囲気がありました。
また野球で例えると、昔は王さんや長嶋さんといったスーパースターでもあまり報酬に対して要求をするということがなかったので、相対的に野球選手の年俸は高くなかったというのがありました。研究者でも同じことがあって、世界で活躍している日本の研究者でも報酬が限られているのだから、報酬に対して生意気を言うなという風潮があります。
机に向かって論文を書き続けている人も、研究を社会実装するという強い理念で研究に邁進している人も、同じ報酬なのであればそれは不健全なことだと思います。高い成果を上げた研究者個人に対して正当な報酬が入る仕組みがあれば、競争原理が働いて研究レベルが上がるでしょうし、研究者が経済的に報われるような環境になれば、研究者を目指す人が増えるという効果もあると思います。
より多くの日本の科学技術を社会に実装していくために、ビジネス視点での支援は不可欠
上村 最近では文部科学省の方針もあって、大学はもっと民間から研究費を集めるようにする動きがありますが、そういった産学連携の共同研究で予算を持ってくるという流れはいかがでしょう。
松原 以前は国立大学や国立研究所が一部の企業と共同研究するということは推奨されていなかったと思います。それが政府の方針によって産学連携がしやすくなっていることは非常に良いことだと思います。
国からの研究費の確保が難しくなると、資金の潤沢な民間企業から研究費が出ることによって選択肢が広がります。また民間から求められる研究ということは社会実装のニーズが高いテーマであるということも言えるでしょう。研究は人類の発展のために行なうものなので、社会実装されるということは直接的に貢献しているという見方もできます。
上村 日本において産学連携が活性化するためにはどのような課題があるのでしょうか。
松原 当然ながら、企業は研究費の投資に対する成果を求めます。日本の研究者は企業に対して成果報告を作るとか、プレゼンテーションをするといったスポンサーに対するフォローが苦手な人が多いのが課題だと思います。共同研究の契約書の内容が理解できないような研究者も多いです。特許や知財の整理なども不可欠ですが、そういった研究者に対する支援も必要だと思います。
実は日本の一部の大手企業はこれまで国内の大学をスルーして、北米の大学に多くの共同研究費を出す傾向がありました。色々な理由があると思いますが、その一つは北米の大学は企業へのアウトプットの出し方や知財の契約などのサービスがシステムとして整っているということがあると思います。
上村 松原先生は、はこだて未来大学の大学発ベンチャーである株式会社未来シェアの社長として積極的に産学連携を推進されています。未来シェアが立ち上がった経緯を教えていただけますか。
松原 2000年にはこだて未来大学に呼んでいただいたのですが、地方の大学ですから人工知能による地域貢献をしていきたいという思いがありました。人工知能の社会的な認知も今回のブームでかなり進み、公共交通などに取り入れられる機運も高まってきました。そこで2016年に未来シェアを起ち上げ、代表取締役社長として社長業についています。
最初は純粋な研究として始まったプロジェクトでした。はこだて未来大学を中心に、産業総合研究所と名古屋大学と共同で未来型交通システムの研究を行いました。通常なら論文を発表して学会誌に掲載されればそれでおしまいなのですが、この取り組みはここで終わらせてはいけないと考えたのです。
函館は車社会で、働く世代の人たちはほとんどが自家用車を運転して生活しています。したがって公共交通機関を利用するのは子供たちや高齢者の方々です。そうすると利用者が少ないため運行本数も減っていき、どんどん不便になるという負のスパイラルに陥ります。このままでは子供たちや高齢者の生活がままならなくなってしまう。そこで、この研究を社会実装して地域貢献に繋げるための会社にしようということになりました。
起業する上で不慣れことも多かったのですが、幸いに、プロジェクトに協力してくれた民間のパートナー企業が会社の起ち上げや経営を手伝ってくれたこともあって、うまく立ち上がることができました。いまではNTTドコモなど国内の大手企業との産学連携プロジェクトに取り組んでいますが、立ち上げの際にビジネス視点で支援してくれたパートナーがいたのはとても大きかったと思います。
上村 まさに産学連携で生まれた大学発ベンチャーですね。epiST株式会社は「産学連携とオープンイノベーションで日本の科学技術を振興する」というミッションを掲げています。epiSTに対してどのようなご期待をいただいていらっしゃいますでしょうか。
松原 潜在的に日本の研究者の能力は決して低くない、高い方だと思っていますが、最近は、研究者が持っている技術をうまく社会に反映させるという点ではうまく回っていない状況で、日本の停滞感に繋がっている一つの要因であると感じています。
その背景としては、研究者が持っている技術をどうやって社会に実装して行くか、そのためにはどのようにして企業と付き合って行くかという観点において、残念ながら日本の研究者の多くは、ビジネスの仕組みや、お金や人の集め方や使い方について不慣れなところがあります。
研究者と企業の間に立って、双方にとってメリットのある共同研究を推進し、ビジネス的な視点で大学発ベンチャーの立ち上げや育成を支援するといった役割をepiSTには期待して応援していきたいと思います。
上村 志高く取り組んでまいりたいと思います。本日はありがとうございました。