産学連携とオープンイノベーションで日本の科学技術を振興する
「実は、研究者はスタートアップの経営者に向いている」産総研発ベンチャーであるライフロボティクスを起業しファナックに売却した産総研の尹祐根氏が感じる次世代の経営者としての研究者の素質と可能性

産総研(国立研究開発法人産業技術総合研究所)情報・人間工学領域 研究戦略部において、対外交渉の窓口や相談役として活躍されている尹氏は、産総研での研究者時代にライフロボティクス株式会社を起業し、のちにファナックによるM&AでEXITした起業家・経営者としての側面があります。

日本において、まだ数が少ない研究者発ベンチャーの成功事例として注目される尹氏に、起業に至った背景や想い、これからの時代における研究者の経営者マインドの重要性、産学連携がより盛り上がっていくための課題について語っていただきました。

尹 祐根(Woo-Keun Yoon)

国立研究開発法人産業技術総合研究所
情報・人間工学領域 研究戦略部 連携主幹

「研究が楽しくてしょうがなかった」、ロボットを学び始めて3年で産総研に入った異色の経歴

― 最初に、ロボットの研究を始めたきっかけを教えてください。

小さい頃からガンダムが好きで、ロボットが単純にかっこいいと思っていました。鉄腕アトムのような自律ロボットではなくて、コックピットに乗って、自分で操作したいタイプでした。

九州大学では機械工学を専攻したのですが、あまり成績が良くなくて、ロボットの研究室には入れませんでした。就職するか悩んでいた時期に、東北大学の内山勝先生(東北大学名誉教授)の宇宙ロボットの研究に興味があって、縁があって紹介を受けることになりまして、博士課程から専攻を変えることができないか相談してみました。

基礎がないため、3年でドクターは取れないかもしれないと言われたのですが、思いのほか前向きな意見だったので、猛勉強して、博士課程を受験した上で、1998年4月に東北大学の博士課程に入学しました。 基礎がないので、学部や修士の生徒に混じって、色々と教わりながら授業を受けていたところ、博士課程2年生になった頃、先生から助手の選考に応募してみないかと言われました。 まだロボットを一年しか勉強していないので、心配ではあったのですが、そのような機会はあまりないので、応募したところ、助手になることができました。

― 異例の速さで助手になられたのですね。

一年勉強しただけで教員になれたというのは世界でも珍しいと思います。

まだロボットの基礎はないので、助手でありながらも授業を受けていたのですが、助手になって一年経って、産総研でロボットアームの研究を公募していると聞いて、応募してみることにしました。

一年間、教鞭をとってわかったのですが、教員は色々な業務をこなす必要があって、研究に専念できるわけではない。産総研に入れば、研究に没頭できると思い、2001年に産総研に入りました。

日本のトップの頭脳が集まった産総研がどのようなところか興味があったのですが、入ってみたら、ロボット研究の第一人者が集まっていて、刺激が多くて、研究が楽しくてしょうがなかったです。

― 東北大学と産総研では違う研究をされていたのでしょうか?

東北大学では宇宙で作業するロボットアームを、産総研では原子力プラントのメンテナンスに使うアームを研究していました。用途は違いますが、人間が立ち入れない場所でのロボットアームを使った遠隔操作というテーマは共通していました。

2006年から「産総研産業変革イニシアチブ」の「ユーザ指向ロボットオープンアーキテクチャの開発(UCROA)」という3カ年プロジェクトが立ち上がりまして、3つあるテーマのうち、介護などの対人支援ロボットの研究をチームで担当しました。

介護の現場においてロボットアームの「肘」が出っ張っていると、老人にぶつかる危険性があったため、ロボットアームが伸びる「肘無し」タイプの研究をしていました。 そこでの研究成果が、のちに起業する「ライフロボティクス株式会社」の協働ロボットの原型となりました。

「実用化までコミットできない研究は意味がない」、社会実装を目的にライフロボティクスを起業

― ライフロボティクスの創業に至った経緯や想いについてお聞かせください。

研究を社会実装することが研究者のミッションであると考えています。ライフロボティクスを起業したときのモチベーションはそこにありました。

ロボットの研究をしている中で引っかかっていたのは、研究者は基本的に誰も製品化までをコミットしないということでした。例えば、介護におけるロボットの研究開発で実験に協力していただく人たちは、新しい技術で自分の人生が変わるかもしれないと夢を抱いて、期待してくれている。実用化までコミットしないのは、そのような人たちの期待を弄ぶようで倫理的にどうなのかと思っていました。

実用化されるために、対人支援のロボットについて何十社もの企業に共同開発を提案しましたが、全ての企業に断られました。起業ありきで考えていたわけではないのですが、実用化するためには自分でやるしかないと覚悟を決め、産総研から技術移転するかたちで2007年にライフロボティクスを起業しました。

― 提案した企業が尻込みしてしまった理由はどのようなところにあったのでしょうか?

共同研究にかかる時間もコストも、狙っているマーケットも、全てにおいて課題がありました。 実際、介護向けの対人支援ロボットであった「RAPUDA」は、ビジネスモデルがまったく描けていませんでした。

メディアに取り上げられて、周りが持ち上げてくれても、ビジネスになるかは別の話という技術系のベンチャーが陥りやすい落とし穴にはまってしまい、5年ぐらい手探りの状態が続きました。どうしようもないというときに、「人と近接している環境でも安全に動く」という肘無しロボットアームの特徴を生かして、介護向けから産業向けの用途にピボットしたプロトタイプ「NECO」をリリースしたところ、反響が出始めました。

休職しない限りは、産総研に籍を残して、会社の代表になれないという産総研の決まりがあるのですが、NECOへの反響で手応えを感じ始めたこのタイミングに、産総研を休職し、ライフロボティクスの代表に就任しました。その後、NECOの後継機で、可搬重量が2キロまで拡大した「CORO」をリリースすると、投資が一気に集まり始めて、商品化が急速に進んでいきました。

― うまく行き始めた要因はどこにあるのでしょうか?

肘無しロボットアームの特徴とコア技術は変わっていません。ものを掴んで動かすという機能を簡単に使えるようにするための技術に開発領域をフォーカスしたと同時に、用途やマーケットの縛りを変えてみたことが奏功したと考えています。

また、実際に技術を開発した張本人である自分が会社の代表になったことによって、事業に対する説得力や熱量が変わり、投資家の評価につながったという側面はあると思います。

― その後、ライフロボティクスはファナックから買収されましたが、どのような背景だったのでしょうか。

IPOや企業売却が前提ではなく、独力で事業を展開していくことを含めて、技術と事業がもっとも伸びるための選択肢を常に探っていました。株主、社員、お客様、関係者全員にとってベストな選択肢であると判断して、ファナックからの提案を受け入れました。

実は、研究者はスタートアップの経営者に向いている

― 実際に起業して、会社の代表として経営をされていたわけですが、研究者が起業や経営をする上でどのような課題がありますでしょうか?

研究者は経営に向いていないといろんな人に言われました。 そもそもハードウェアの会社の起業家が世界を見てもあまりいないという状況の中、とりあえず自分たちでやるしかない。いろんな失敗をして、会社の成長とともに経営者としても成長するしかないと思っていました。 実際にやってみて感じたのは、研究者とスタートアップの経営者は似ているところがあると思いました。 研究者はまだ世の中にないものを生み出す。スタートアップの経営も前例がないことをやるという意味では似ていると思いました。

ビジネスでの仮説を立てて、スピード感をもってチャレンジして検証するというサイクルは研究におけるサイクルと共通しています。実は、研究者はスタートアップの経営者に向いていると感じるようになり、研究者は 一度スタートアップの代表を経験してみるのがよいのではないかと思っています。 これから、技術が進めば進むほど、研究者やエンジニアでないと、技術的な意思決定ができない。そういう時代になってくると思うので、技術を理解している人がトップをしていることの価値がこれから上がっていくと思います。

知り合いの社長がMBAホルダーなのですが、会社に招かれて訪問したときに、エンジニアが社長に開発中の機器を見せたら「いい感じにやっといて」と言っていて、驚きました。 研究者やエンジニアが代表であれば、現場からの提案に対して具体的な返しと判断ができる。 それが大学発ベンチャーの成否を分ける鍵だと思っています。

― 開発と経営の意思決定がリンクしていることが重要だということですね。

本当にそう思います。 研究者が研究費を確保するために、継続的な研究開発ができる状態にするためにどのように会社を運営するか、そのような視点で経営に携わってみることは、とても価値が高い経験になると思います。

― これから研究者による起業が増えると思いますか?

急増はしないかもしれないが、確実に増えてくるとは思います。 いまの20〜30代の若い世代の研究者は社会実装に関心が高いと感じています。 また、国がスタートアップ支援に乗り出している中、以前よりは起業のリスクを感じずに、とりあえずやってみて、ダメだったら戻るという空気になっていると思います。

― ライフロボティクスやサイバーダインのような研究者ベンチャーの成功事例が増えてきていることがよい影響になっていると思いますか?

どれほど影響があるかは分からないですが、成功事例はないよりあった方がよいと思います。 私、個人としては、起業を考えている研究者の相談にいろいろ乗ってあげたいと考えています。投資家と研究者の間では、まだビジネスに関する情報の非対称性があって、研究者がうまくやられてしまうといったことがあります。そうならないように、フォローしてあげるだけでも、研究者にとってはありがたいみたいです。

研究と事業は対等な関係。研究者はお金や儲けに対する意識を変える必要がある

― 日本の産学連携やオープンイノベーションの現状についてどう思いますか?

一つ大きな課題として、日本の研究者はお金についての意識を変えた方がよいと思います。

まず、国からの研究費でも、個人の所得や企業の利益からの税金でやっている以上、儲けるという前提で研究をしないといけないと思います。

技術がビジネスとして利益を稼いで、そこから税金を納めて、その税金が次の研究開発の予算につながるといったエコシステムの重要性をしっかり意識しないといけません。

今後、国からの研究費が減っていく可能性がある中、アメリカのように各大学で基金を作るという動きになっていきます。 簡単に寄付が集まるわけではないので、大学が現物出資をするといったこともあるかと思います。投資した会社がIPOし株式売却益を実現して、そのお金をアカデミアに循環させるような流れも重要です。

研究者個人が金銭的な成功を収めると、眉を顰める風潮がありますが、個人の報酬は研究や社会実装が成功した際の副次的な結果であって、重要なのは実業でしっかりと稼いで、その利益を次に還元することです。

よって、研究が上で、実業が下という関係性ではない。研究と事業は対等であるという意識改革が進めば、日本の産学連携はもっと盛り上がっていくと思います。

― 日本ロボット学会など、学会での活動にも取り組んでいらっしゃいますが、産学連携における学会の役割についてどのように感じていますか?

現状においては、学会は権威の場、発表の場と捉えられていますが、本来であれば人類に貢献する知識を分かち合う場としてもっとオープンであるべきだと思います。

特に、ロボットのように社会実装に近いテーマを扱っている学会は、多くの企業にも参加してもらい、連携していく場としての機能をもっと発揮すべきです。

― 学会での取り組みなど、もっと盛り上がるためにはどのようなアイデアがありますでしょうか?

企業とも連携して、学会が企業側のニーズを見つける場として機能すれば、もっと参加者が増えて盛り上がると思います。

米国の共同研究の予算は日本と比べて桁が一つ違うぐらい大きいですが、米国は大学や学会が出してもらったお金に対してアウトプットをきっちり出すことが当たり前と考えられているため、スポンサーが継続しやすいという側面があります。

日本においても、学会に限らず、社会実装を目指す研究者と企業が出会える場がもっとあった方がいいと思います。

― epiSTでもそのようなネットワーキングイベントを開催したいと考えております。最後に、産総研に戻られて、今後どのような取り組みをお考えになっているか教えてください。

ライフロボティクスを売却して、産総研に戻ってきたのは二つ理由があります。

一つ目は、産総研での研究をもとに、もう一度起業したいという思いがあります。ライフロボティクスを起業して、EXITするまでとても大変でしたが、それと同時にとても楽しかったので、ぜひまた起業したいと考えております。

二つ目は、現在、所属している研究戦略部の連携主幹としての役割とも被るのですが、研究者が起業や産学連携を進める中で、ビジネスには色々な落とし穴があるので、そこに陥らないように支援していきたいと考えております。

― 次の展開がとても楽しみですが、起業にあたって今後はどのようなテーマに取り組んでいきたいとお考えでしょうか?

実は、まだどのようなビジネスにするかは何も決めていないです、

いままでの延長線でのロボットの分野もいいのですが、フラットに何が楽しくて、世の中に良い影響が与えられるものは何か、考えていきたいと思います。

― 本日はありがとうございました。 ライフロボティクスの起業からEXITまで一気通貫でご経験されたことが次の起業に生かされることを非常に楽しみにしております。

尹 祐根(Woo-Keun Yoon)

国立研究開発法人産業技術総合研究所
情報・人間工学領域 研究戦略部 連携主幹

1998年、九州大学大学院工学研究科修了
同年、東北大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻に進学。
1999年8月、同研究室の助手に就任。
2001年、独立行政法人産業技術総合研究所(現・国立立研究開発法人産業技術総合研 究所)知能システム研究部門の研究員に着任。
2003年9月、論文博士として東北大学で博士(工学)の学位を取得。
2007年12月、産総研発ベンチャーとしてライフロボティクス株式会社を起業。取締役 CTOに就任。
2014年12月、産総研を休職し、同社の代表取締役に就任。
2018年2月、ファナック株式会社による買収に伴い、ライフロボティクスの代表取締役を退任し、産総研に復帰。